日本側では 昭和16年12月08日から昭和20年08月15日までの戦争を「大東亜戦争」
米国側では「太平洋戦争」。
その「太平洋戦争」において、米海軍の公式戦史が、日本海軍に対して
お見事です。
してやられました。
と賞賛する作戦が2例ありまして、その一つが昭和18年(1943年)7月の「キスカ島撤収う作戦。」
※もう一つは、昭和17年11月の「ルンガ沖夜戦」
指揮官の豪胆さと緻密な計画で、アリューシャン列島に孤立していたキスカ島守備隊員5182名を米軍の厚い包囲下、濃霧を利用して全員を無事救出。
何も気づかない米軍は上陸準備で絨毯爆撃を行い、大規模な上陸作戦を敢行。
が、島に上陸してみると・・・
そこにあったのは・・・
空っぽの兵舎と犬一匹。
このキスカ撤収作戦を指揮したのが木村昌福海軍少将。

海軍兵学校第41期入校。入校時120名中84番。
大正2年12月卒業。卒業時118人中107番。
もー、文字通り・・・
ドンケツの劣等生。海軍大学校甲種学生も経験なし。
「水雷屋」ですが、水雷学校高等科学生の履歴もない。
海軍省や軍令部での経験が無い実役停年を迎えたら、文句なく予備役→特命というコース。
ですが艦隊勤務一筋。勇猛果敢で豪放磊落な性格の人柄で知られ、部下をむやみやたらに叱ることもなく、常に沈着冷静な態度であったので、将兵からの信頼は厚い。
大東亜戦争時、陸軍も海軍も戦争指導は
弾が無くなったら、全員素手で切り込んで果てろ
つまり、
玉砕
そんなこと、やっていたら後世に汚点を残す。
ということで「キスカ撤収作戦」は実施され、木村少将はの指揮で作戦成功。
海軍部内での評価も高まったのですが、本人いたって冷静沈着。
終戦後に海軍中将に進級。日本海軍、最後の中将。
公職追放の仮処分を受け、山口県防府市の海軍兵学校防府分校跡地で、旧部下と共に製塩業を行う。
「キスカ撤収作戦」について家族は1957年に千早正隆(元海軍中佐)が取材にくるまで知らなかったと言います。
サイレントネイビー。
1960年〈昭和35年〉2月14日没。
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-34130623"
hx-vals='{"url":"https:\/\/mitsuonesu.exblog.jp\/34130623\/","__csrf_value":"eb51c651460f2ff61f409b7e32e7cc005a609f7c521cb561fe93d0ca6466b4f624d221c2372237b9ad548b4cdc196fe1bddc48012cfa88ec77808843f1d3a24e"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">